末期がん…父の背中…
ども、おじさんです。
末期の癌と闘っている父とのことを今日も書いてみようかと思いパソコンの前にいます。
というのも、昨夜、「風呂に入りたい」というので父の入浴介助をしまして、そのときに思ったことを書いてみようかと思ったわけです。
おじさんにも幼い頃というのがあるわけだけど、父との思い出っていうのは正直あんまりないんです。
仕事一筋な人で、所謂コテコテの日本型ワーカホリックとでも言えばいいのでしょうか。
学校行事には顔を出したことはほとんどなく、休みの日だって一緒にでかけた思い出というのは、数年に一度あるかないかの家族旅行の時のことぐらい。
普段は本当に家にはいない人でした。
だからといって家庭をないがしろにするということではなく、怖い人ではありましたが、家庭は大事に思っていてくれたと感じています。
たまに早く帰ってきた日には一緒にお風呂に入り、背中を流したりしたものですが、その時に感じた父の背中の大きさというのはずっと忘れることができずに持っていたわけです。
で、昨夜のお風呂介助の話。
自力では満足に歩くこともできず、母の肩を借りながらやっとこさ風呂場まで歩いてきた父。
おじさんは先に浴室でお湯加減や洗い場の準備などをして待っていたんだけど、
裸になって浴室に入ってきて、シャワー椅子に腰をかけて、おじさんに背中を向けた父の姿に言葉を失いそうになり…。
(ちっちゃくなっちゃったなぁ…)
すっかりと痩せてしまい、骨と皮だけになった父の裸は、改めて見ると、衝撃的なものでした。
細身ではあったものの隆々の姿しか記憶になかったので、正直胸が苦しかったりもして…
太ももがおじさんの腕くらいしかなくてね…
…そりゃ、自力で歩くのも大変だわ…
「せっかくだから湯船にもつかりたい」というものの、一人では浴槽を跨ぐこともできなくなっている父の腰を支えて湯船の中まで移動の介助。
片手で持ち上げられるほど軽くなっていた…。
わずか数ヶ月前には、ステテコにランニングシャツ姿で晩酌をしていた父。
あの時はまだしっかりと背中の筋肉を見ることができていた…
15年前に大病を患った時も、こんな痩せ方はしていなかったなぁ…
表現は乱暴かもしれないけれど、お風呂場で見た父の背中は、スーパーで売っている鶏ガラのようだった…
数日後には、定期の受診の予定があり、「抗がん剤治療を続けるかどうか」を医師から判断してもらうという審判の瞬間がある。
1年ちょっと続けてきたけれど、思っていたより薬は効果を発揮してくれていないようだ。
不謹慎だけど…
父のあの背中を見てしまったら…
天命の時は確実に近づいてきていること…
まざまざと見せつけられた感じだよ…
~おまけ~
こういう「覚悟」もそろそろ持たなければならないんだろうな…