終活とか
父は今、病気と闘っている。
病名は胃癌。
なんでも、神経内分泌癌とかいう希少がんと言われるものらしく、一般的な抗がん剤も思うように効果を発揮してくれないらしい。
見つかった時には既にステージⅣで、いろんなところに遠隔転移もしており、医者からは、「残された時間をどう過ごすかを考えたほうが良いかも」と言われたりもした。
尤も、当の本人は生に対する執着はしっかりと持っていて、緩和的外科手術(病の根治ではなく身体的な苦痛を取り除くことを目的とした手術)も受け、定期的な抗がん剤治療も続けてきた。
おかげさまで?病気が見つかったときは余命は数ヶ月と言われていたのが、1年以上命をつなぐことができている。
ただ、最近の父の様子を見ていると、必死につないできた命の灯火もそろそろ…そんな感じだ。
実は、父の病気がみつかる半年ほど前に、一番下の弟さんも癌で亡くなっている。
それから半年して体調の不調を訴えて検査をしたところでの父の癌発見。
その時担当医師から「半年早く検査をすることができていれば…」と言われたのが個人的にはとてもシンボリックで印象に強く残っている。
その叔父は、若い頃に離婚を経験していて一人暮らしをしていたのだけれども、新幹線で半日かかる距離で、建築関係の自営業をしていた。
1年くらい前から腰や肩、首筋の痛みを感じて整形外科や整骨院に通っていたが、結果、進行性の肺癌だったようだ。
部屋の片付けに行ったときに、小さな個人の整形外科医院の診察券や湿布や痛み止めの飲み薬などがたくさん出てきた。
しかし、肝心要の肺癌が見つからないまま何ヶ月も湿布だけで過ごしちゃったんだろうね。
急激に胸の苦しさ、呼吸不全の症状が出てきて、救急搬送された大きな病院で検査をしてようやく原因が判明したものの、時既に遅し。
結果、病気が見つかって叔父は2ヶ月足らずで亡くなってしまった。
遠く離れたところで一人暮らしをしていたので、危篤の知らせを受けてからバタバタと対応をしたが、結局死に目には間に合わず。
その後、一人暮らしの部屋の片付けや行政関係の様々な手続きではいろいろと大変な思いをしたりもした。
そんなこんなが続けざまにあって…
おじさん自身も五十路にスーパーリーチがかかった年齢になり、「終活」というのをけっこう意識するようになった。
恥ずかしい話だが、生命保険や医療保険については、今現在契約している保険商品は、契約当初からほとんど見直しなどもせず放ったらかしのままで更新を続けている。
癌特約や入院時の生活保障など、「今のおじさんの生活」をしっかりと支えてくれる内容になっているのかはまるでわからない。
死んでからのことって、そのときにならないと真剣には考えたりしないし、「まだ大丈夫でしょ」っていう油断?もあったりするしね。
おじさんの祖父は、85歳で天命を迎えたが、晩年は毎年のように、こっそり遺影用の写真を撮影して、万が一の時にすぐわかるような場所にひそかにしまってくれていた。
祖父も急逝だったのだけれども、書斎の引き出しを空けた時に、十年以上分の「遺影用」写真を見つけた時は正直かなり関心したことを覚えている。
父についても、「そろそろ遺影用の写真も…」と思ったが、もともと写真が嫌いでカメラを持って写真を撮る側にはなっても、撮られる側であることは極端に少なかったようで、一人で写っている写真というのがなかなか見つけられない。
「じゃぁ、今写真を撮ってあげよう」と思ったりもしたが、病気のせいですっかり痩せ細ってしまい、頬がコケて小さくなってしまった父の写真を撮ったところで、遺影としては採用はできそうにないし…
相続のことなどもそうだ。
叔父が亡くなった時は、離別した元奥さんや子供さんへの相続の手続き等が大変だった。
権利を持つ人すべての印鑑が必要だとかで、それこそ、日本全国に散らばっている兄弟や元のご家族全員のハンコをもらうためにかなりの労力を要したし。
「元気なうちにできることをしておく」
「万が一に備えて」
ずっと他人事だと思っていた「終活」が、一気に身近なものとしておじさんに接近してきたわけだ。
父からは、さり気なく時間をみては家の伝統的な習わしや、家系的ないろいろを引き継がせてもらうための時間を作るようにしている。
でも、それは逆を返せば「まもなく天命を迎えるという現実」を病気と必死で闘っている父に改めて突きつけなければならない残酷な時間でもあるわけで。
死の恐怖を抱えながらも必死になって生きることへの執着を持とうとしている父の姿を見ながら、その作業がどれほど残酷なことかを痛感することも多い。
だとすれば、「死」を間近に感じて恐怖する前に、必要な手続きは済ませておいたほうが絶対にいいんだろうなぁってことも思うようになってきた。
~おまけ~