今年も3月11日がやってくる
今日は3月10日。
明日は3月11日。
そう…8年前の忌まわしい大震災があった日。
今日は、朝からどのTV番組を見ても「東日本大震災」から8年を迎える東北の太平洋側の今を特集していた。
復興が順調に進んでいる地域
残念ながらまだ十分な復興が進まずにいる地域
心の傷が癒えずに苦しんでいる人たち
新たな一歩を踏み出して頑張っている人たち
正直、直接の被災地に住んでいなければ、あの震災からどういう道を歩んできたのかなんてわからない。
同じ東北に住んでいながらも、おじさんの生息地はライフラインが復旧してすぐに生活はどうにか元通りに近いところまで復旧した。
住む家をなくし、住む街をなくし、ふるさとを失った人たちがどんな大変な目に会って今日まで歩んできたのかは感じることができない。
毎年のようにこの時期になると特集される被災地の今は、しっかりと見ておくべきだとは思う。
でも…なんていうか、ドラマティックに仕立てられすぎて、ちょっと違和感があったなぁ。
もっと率直に良いことも悪いことも描いてもいいんじゃないかと思ってみていた。
辛いことばかりじゃない。
だけど、良いことばかりでもない。
個人的には、できれば直接被災地に足を運んで、自分の目でどうなったのかを見てほしいと思う。
というのも、自分自身、実際に地震から数年を経過した被災地を訪れていろんな衝撃を受けたから。
震災から4年も5年も過ぎても、まだ仮設住宅群がある町。
海岸線の土地の造成はすすんでいても、数年間はそのままだった。おそらく盛り上げた土が安定してしっかりとした地盤になるまでは簡単にはその上に建物を作ることはできないんだろう。
そういうのを実際に目にして、おじさんはようやく「どれだけ甚大な被害だったのか」をいうことを痛感した。
偶然だったんだ。被災地に足を運んだのは。
はじめは、子供が行きたいと言っていたイベントの引率で女川の復興祭。
道中いろんなものを目にした。
そこで感じたいろんなことを家族にも感じてほしくて、翌年からは家族旅行にして3月の下旬、子供が春休みになったら出かけている。
宿泊するところも、まともに津波の被害にあった場所を選んで。
高台にある建物の二階部分にサインペンで線を引いて「津波到達点」とか書かれていたのを見て、まだ小学生だった次男は「こんな高いところまで津波が来たの?」とショックを受けていた。
海岸にあったはずの大きな設備が、高台の上に今も放置されているのを見たり、海岸線の林にまだ残っている「これは海の中にあったものだろう」という残骸を見つけては、あれだけの規模の震災、完全復興まではまだまだ時間がかかるのかもしれないなぁっていうことを考えたりする。
東日本大震災で流された女川の交番だそうです
少し前の記事でも書いたけど、我が家では毎年、非常用の持ち出し用具の点検と非常食の入れ替えをしながら、その日を「あの震災を忘れないようにする日」にしている。
そして、毎年3月に出かける女川や石巻への旅行でも「自分の目で被災地の今を見てくる」機会にしている。
あ~、何を書きたいのかよくわからなくなってきた。
今年も、子供の春休みを待って出かける予定。
車に乗って、いろんなところを見ながらのんびりと。
成長した子どもたちが毎年変わっていく町並みを見ながらどんなことを思ってくれるのか…
旅行の行程表を考えながら、いろんな思いを巡らせてみたっていう話し。
~おまけ~
これかどうかは覚えていないけれど、女川駅の中にある売店にも、あの日を記録した写真集が売られていた。
休憩場所でも見ることができるけれど、やっぱり何度見ても胸が締め付けられる。