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田舎のオヤジの独り言…共感してもらえれば嬉しいな…

故人を偲ぶ形

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お盆前に母方の親戚が亡くなり、つい先だって葬儀があった。

 

田舎の葬儀だったので、自宅に祭壇が飾られて、ご近所さんが勢揃いし、盛大な葬儀が執り行われて故人を送り出した。

亡くなってから忌明けするまでは、七日日ごとに念仏があって、その度飲めや歌えやの宴がセット。

葬儀屋に支払う費用、お寺さんにだすお布施、戒名代、その他諸々でフツーに車が買えるぐらいの予算が必要になるって喪主さんこぼしていた。

 

 

聞けば昔は、ご近所さんが食べ物を持ち寄りながら宴席を準備したらしいよね。

葬儀も、村の集会所に葬儀用の備品ってのが用意されていて、必要になれば祭壇も木魚も鈴も座布団も、み〜んな共用していたらしい。だから村を上げて人もものも協力していたっていう互助の形がちゃんとあって、お互いに助け合いながらやりくりをしていたんだってさ。

 

それがいつの間にか食べるものは仕出し屋に注文するようになり、一大イベントとして葬儀屋が一切をプロデュースし、かかる費用も青天井に…

 

それでも最近は、田舎でも家族葬のようなスタイルが定着してきて、あまりお金はかからなくなったとはいうものの、企画運営は葬儀屋が主体となるから、結局はそれなりのお金が必要になる。

 

葬儀の簡素化については異論はないよ。

ただ…これについては正直考えさせられた。

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 たとえば車いすで生活されているお年寄りが、クルマを降りることなく葬儀に参列できるようにするためです。こうした方にとって葬儀への参列は大変な労力を要し、「人の世話になるから葬儀に行けない」という声を多く聞きます。

…たしかにそうなんだけれどもね…

ただ…そういう人は葬儀に参列しなくても、あとで改めてお悔やみに訪問する形を取ったとしても礼を失する事にはならないと思うんだ。

葬儀への参列だけが故人を偲ぶ形ではないはずだよね。

 

 また、葬儀はお昼や午後の早い時間帯に行われることが多く、忙しい方にとっては来にくいものですので、健康な方にもニーズがあるでしょう。喪服に着替える時間がなく、平服でも「顔だけは出したい」と思われる方も多くいらっしゃいます。こうした方々も参列しやすくする意図があります。

時間的な都合を言い訳にしてしまったら葬儀だけじゃなくいろ〜んな場面で不都合が生じることになるわけだし…

 

少子高齢化によって葬儀参列者は全体的に高齢化しており、スタイルも変化しています。それに、喪主さんは「あの人は(葬儀に)来た、あの人は来ていない」ということをよく覚えているものです。それは、行きたくても行けないという方にとっても心残りになりますので、ひとりでも多くの方に参列いただくことが重要だと考えています。

う〜ん、「申し訳ありませんが、今回は葬儀に参列できませんので、日を改めてご挨拶にお伺いします」と連絡をすれば済む話じゃないのかな?

 

 

結局は、故人を偲ぶ形での簡素化ではなく、葬儀屋が「参列者を確保して葬儀の規模を担保する」ためのものになっていないか?

 

車椅子に乗っているような方がタブレット端末を使って名前や住所を登録して、香典を預けることができるのかな?

 

 

なんていうか…おじさんが考えていた「簡素化」とは進んでいる方向性が違っていて、正直戸惑いを感じる。

 

 

【葬儀の簡素化】については異論はないんだよね。

だけど、それは村中を巻き込んでの一大イベントとしての葬儀をもう少しシンプルにしようとか、お金がかかりすぎる葬儀の形をもう少しリーズナブルにするとか、そういうところでの簡素化であって、「葬儀屋やお寺の儲けはそのままに…」っていうこととは違うと思うんだ。当然人の手がかかっているわけだから、それなりの必要なコストについてまで削れとかいうような主張もするつもりはないよ。

 

 

ま、冠婚葬祭については考え方もいろいろだろうし、地域性や宗派によっても、葬儀の形っていうのは多岐にわたるだろうから、「これでいい」っていう考え方や人や地域があるのは理解するけれどね。

 

これから高齢化や少子化が進んでいくと、ますます議論される問題なんだろうね。

 

 

 

〜おまけ〜